料理をグロいとは言いたくない、だがしかし


マレーシアに来て

ほとんどの食べ物は

なじみやすいと思っていた

 

何を食べてもそう

当たりはずれはないし、

美味しいと思う

 

パンチも効いているし

スタミナのあるものを

提供されることが多い

 

でも、たまにやはり

ぎょっとすることもある

 

自分は出されたものは

基本残さないし、

ありがたくいただくが

 

これは…?

とおもえる出会いもある

 

今週は鳥の足の炒め物

がそれであった

 

六本木の24時間中華屋とかでも

そういう料理はあったし

出されれば、普通に食べていた

 

でも、あれは物珍しさ

からくる一種のイベントで

一過性のものとしてだから

食べることができたのでは

ないかと思える節がある

 

普通に日々食べる

食事として出されると

「あ」と思わず静止してしまうような

 

「自分、この食事は

自分の身体の一部にするものとして

まだ受け入れてはおりません」

 

とごく自然に拒否反応を感じる

瞬間があったりするわけである

 

多分、その店の近くで

放し飼いの鶏を毎日

通りすがりに見ていたから、

 

多分、鳥の足先が

大量に使われてると、

「これ、言うに

10羽分は入ってるよね」

と、つい数えてしまうから、

 

理由はそういう

日常として、まだ

受け入れのできていない

文化の違いから

くるものだとは思う

 

 

でも、こうして考えると、

自分の食べてるものに

全般的に疎くないだろうか

日本人て

 

肉は細かく刻まれている

タンパク質の塊で、

その先に命があることを

どうも忘れているよな

と思うのだ

 

じゃ、マレーシアの人たちが

その命を尊重して

食べ物を粗末にしないかというと

それはまた

別の話だったりするんだが、

 

なんか、ハリラヤのころとかに

牛の首が道端に置かれてたり

そういうのを見るにつけ、

 

やっぱり

人間て、何かの犠牲の上に

成り立っているんだよなあ

ということを改めて

感じちゃったりなんかするのである

 

Martha Kobayashi


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管理人について

小林雅(まさ)
1967年12月生まれ。
日本人女性
独身
家族:おばあちゃん犬、ダコタ
呼び名:Martha
趣味:ヨガ、ハイキング、スノボ

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