
行ったこと
もない地域
にある
その店に
私はLRTで
向かった
お迎えの時に
その子を
入れられ
るように
バッグや
飲水の容器
も用意していた
どんなこなんだろうな
私や家に馴染んでくれるだろうか
そんなことを漠然と考えながら
店に向かう時、
前の犬のことを考えたかというと
それはもちろん、
罪悪感とセットで
いつも心の片隅にあった
実際のところ、
49日が過ぎるまでは
次の子を迎えない
そう決めていたのに
次の犬を探していることには
抵抗と罪悪感があった
しかしそれ以前に既に
毎日が罪悪感と後悔、
空虚と喪失感で苦しくて
これを他の感情で
埋め尽くすより他に方法が
思いつかなかったのである
そんな時、同じように
犬を失った経験のある人の
言葉は私を救い上げてくれたが
その反面、そんな人たちをも
私を傷つける言葉を持っていること
それに気づいて、どうしたら
胸にある鉛のような重たいものを
吐き出せるのか、
方法を探しまくっていた時だった
失ったのが犬だって
これほど辛いのだから
我が子を失った女性が
どれほど辛い思いをするのだろうか
ということに思い至った時
自分が本当に何も失うものを
持っていなかったのだと気づく
そんな辛い時期でもあった

犬と散歩したプールサイドも今はCMCO再開で閉鎖され、それがまた辛かった
そうしてUSJ7という
ユニバーサルスタジオ?みたいな
地名の場所に、新しい犬との
出会いを求めてきた時、
私は今より悪いことなんて
起きるはずがないと
祈るように、信じ込もうとしていた
今になれば、
「ホント、苦しい時は
ジタバタ動くもんじゃない」
と思うだけなのだが、
なんというか、必死だったよね
と苦笑するしかない
コメントフォーム