
結局のところ
ちゃんと
覚悟できた
ようでいて
その場の
勢いで
安楽死を
決めは
しなかったか?
私を次に
苦しめたのは
そんな考え
だった
無理な治療はしないと言って
何もしなかった
抗がん剤治療していれば
あんなに急にがんが広がって
痛みを感じさせなくて
済んだのではないか?
繰り返しそんなふうに
自問自答するのだが
結局のところ、答えは出ないのだ
周囲の人の中には
「どうしてモルヒネを打ったのか」
などと言う人もいた
あんなきつい薬を使うなんてと
友人だと思っていた男性に
言われた時、
私は泣いて抗議し、
彼と口を聞かなくなった
そうして友人さえも無くした
愛犬をなくして世界が
変わったように感じたよと
その人は言ったものだけれど
結局、何よりも彼の言葉で
私は人をどのくらい信用して
いいのかすらわからなくなり
実際のところ世界がすっかり
変わったように感じるに至った
部屋の中の何を見ても
亡くなった犬のことを思い出し
腕には彼女の首輪を身につけていた
その首輪にはご丁寧に
犬の毛が詰められたガラスの
チャームがぶら下がっていた
例の葬儀屋が遺骨と一緒に
付属して届けたものだった
愛犬を思い出させるものは
全て始末していたはずなのに
15年半も側にいれば
いなくなった時
どんなにダメージが大きいか
そんなの飼い始めた初年度から
覚悟していたはずなのに
これほど苦しいものなのか
と改めて気付かされる
特に辛かったのは
朝一人で部屋で目覚めた時
彼女が既にいないことに
何度も何度も
気づかされることだった
思うように食事が
食べられない日々が続き
体重が5キロほども減っていること
に気づいた
もうこの状況から
脱する方法はないと思った
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