国が違うだけでこんなにも違う


これは

マレーシアに

限ったこと

ではない

 

遭遇の確率の

違いはある

とは思う

のだけど

 

最近

日本に生まれたことを

相当幸せなことなんだと

実感できるようになった

 

友達のお父さんがなくなった

 

その友達はフィリピンの人で

いつもニコニコしていて

 

母親くらい年の違う自分のことも

遠慮したりしないで

どんどんスキンシップをして

垣根を取り払ってくれた

 

彼女の性格ならば

きっとどんなひどいことも

起こらないんじゃないかな

 

「日頃の行いの良い人」というけれど

まさにそんな鑑のような人だから

 

ずっとそう思っていた

彼女のこれからの人生は幸せいっぱいだと

 

でも彼女のお父さんは突然殺された

 

彼女の悲しみようはどうしたって

これまでからは想像できないほどだった

 

しかも殺されるいわれはなくて、

おそらく誰かと間違えられて

殺されたんだろうという

 

彼女の在り方を見ていれば、

彼女のお父さんが

殺されるような何かをするようには

到底思えなくて、

 

その話は余計に納得できてしまうものだった

彼は政府の役人だったという

 

自分がとにかく思ったのは

日本にいれば多分

とても自由がない代わりに

安全なんだということ

 

自分は安全よりは自由を選んで

よその国に来たんだということ

 

そして日本に帰る気はさらさらないが

ちゃんと理解しておかなければいけない

ことがまだまだあるのだということ

 

日本は素晴らしい環境の整った国

ちゃんと感謝して、

その環境を壊さなくて済むように

できることをしなくてはならないということを

 

ちょうどその頃

小さな行方不明の男の子を探し出すために

ボランティアで遠くからやってきた男性が

見事男の子を探し出した

 

これは一つの例だけど

自分ができることって何だろうと考えること、

ひとつづつでも実行すること

行動できないなら寄付をするとか

できることはその気になればいくらでもあるのに

やっていない気がした

 

先週、知り合いの子供が行方不明になった

未だに見つからない

この国には人さらいがたくさんいる

 

何ができるんだろう

 

 

Martha Kobayashi


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管理人について

小林雅(まさ)
1967年12月生まれ。
日本人女性
独身
家族:おばあちゃん犬、ダコタ
呼び名:Martha
趣味:ヨガ、ハイキング、スノボ

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